昔、インドの北の街におばあさんが一人で住んでいました。
都へ行く旅人や商人は、途中きまっておばあさんの家に泊まりました。
ある日のことです。
朝からの雨が、夕方には嵐になりました。
「今夜は、お客もなさそうだね。」とおばあさんが扉を閉めようとしたその時です。
びしょ濡れの旅人が、外にうずくまっているではありませんか。
びっくりしたおばさんは「まあ、こんなに濡れて」と急いで大きな布を出してくると、旅人の
体をすっぽりと包んであげました。
旅人は、一頭の黒い子牛を連れていました。
産まれて間もない小さな子牛でした。
おばあさんは、カレーを温めて旅人にすすめました。
それから、子牛をやわらかな布でそっと拭いてやりました。
子牛は震えています。
「よしよし、お腹が減っているんだね。」
おばあさんは、おかゆを作ってやりました。
子牛は、目を細めてひと口飲みました。
鼻を動かしてふた口飲みました。
3口目には大きな声で鳴きました。
「おお、いい子だ。強い子だよ。」とおばあさんは一晩中、体をさすってやりました。
朝になりました。
嵐は、うそのように、空は真っ青に広がっています。
旅人は丁寧にお辞儀をして言いました。
「泊めていただいたのに、私にはお支払いするお金がありません。どうかこの子牛を、受けてとってください。
子牛が生きているのも、あなたのお陰です。」と言って何度もお礼を言いながら、旅人は去って行きました。
おばあさんは、この子牛に『カーラカ』と名付けました。
その日から「カーラカ、カーラカ」と呼ぶおばあさんの朗らかな声が、町中に聞こえました。
子牛も、おばあさんから離れようとしません。
暑い夜は、星を眺めて一緒に眠りました。
家に食べるものがなくても、どこからかカーラカの分だけはもらってきて食べさせました。
こうしてカーラカは黒くつややかな立派な牛になっていきました。
近所の子供たちもカーラカが大好きでした。
カーラカは子供たちを背中に乗せて、一緒に川へ出かけます。
遊ぶのは楽しいけれど・・・
カーラカは、近頃めっきり年をとったおばあさんのことが気がかりでした。
そして、おばあさんの代わりに自分が働いて、おばあさんを楽にしてあげたいと考えるようになりました。
二日続いた大雨で川はゴウゴウとうなりをあげて流れていました。
500台の荷車を引いた商人が、川の前で動けなくなっていました。
何とか牛たちに川を渡らせようとしますが、流れが激しく前に進めません。
牛たちはおびえて、後ずさりをはじめました。
そこへ、子供たちを乗せたカーラカが通りかかりました。
男の子がひとり、カーラカの背中でおどけていると、ぐらりと揺れて川へ落ちました。
カーラカは慌てて川に飛び込み、今にも沈みそうな子供に角をグイっとつき出して助けだしました。
その様子を見ていた商人は、この黒牛はただの牛ではないと思いました。
この牛ならきっと荷車を向こう岸へ渡すことができるに違いないと思いました。
飼い主も見当たらないし、急いで渡らせようとカーラカに荷車をつなぎました。
けれどもカーラカはびくとも動きません。
子供たちが言いました。
「おばあさんの牛だぞ。タダで働かせるなんてずるいぞ。」
「なるほど、そうだったか。黒牛よ、おまえがこの荷車を向こう岸まで引いてくれたなら、たっぷりお礼をしよう。
1台につき金貨2枚。500台で金貨千枚ではどうだ?」
カーラカは、おばあさんのために働けるととても喜びました。
勢いよく川の流れに入り、500台の荷車をいっきに引いて向こう岸へ渡らせたのでした。
あまりに簡単に荷車を引いて渡らせたので、1台につき金貨1枚でいいだろと、商人は500枚の金貨の入った袋を
カーラカの首に結びました。
とたんにカーラカは荷車の前に立ちはだかり、約束が違うとでも言うような目で商人をにらみつけました。
商人は慌ててあと500枚の金貨を袋に入れました。
「おまえのように、強くて・賢い牛は見たことがない。」
商人はそう言って去って行きました。
カーラカは、おばあさんのところへ走ります。
「カーラカが働いた 金貨1,000枚 働いた。」と子供たちが言いました。
おばあさんが家から飛び出してきました。
そして、真っ赤な目・息を荒げたカーラカを見て言いました。
「いったい どうしたというんだ。」
子供たちは口々に訳を話しました。
「おバカさんだね カーラカは。お前がいるだけで 私は幸せなんだよ。お礼を言いたいのは 私の方じゃないか・・・」
おばあさんは、カーラカの首を抱きしめました。
川の向こうに夕日が沈もうとしています。
まばたきをしたカーラカの目に、朱色の美しい景色がやさしくうつっていました。
-終―